入間郡田能沢村今成の赤松園で競馬が始まった
その後
川越市新宿に1マイル(約1,600m)の本格的な馬場を建設し
1933(昭8)年:入間郡畜産組合主催による川越競馬が開催された
広さは縦七百米、横三百米、1周千七百米位で観客スタンド、事務所のほかに
厩舎その他、附属の建物もあった
ちなみに
馬券は一枚一円、競走種別は駈走、速歩で障害レースは行われず
クラス付けは「大関」「関脇」などは付けず
甲(最高位クラス)、乙、丙、丁の四階級に分け
丁が一、二、三級に区分され
1日35頭、1レース平均11頭が出走し、朝9時半から夕方5時まで12レースを行っていた
かなり遠方からも客が来て
市内の各旅館に溢れ盛り上がっていた
しかし、戦争による軍馬資源保護法公布に伴い
1939(昭14)年:埼玉県畜産組合連合会による川越競馬はこの年の開催を最後とし廃止に至る
川越市新宿
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